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勇武津資料館で発見!

日焼けして曲のタイトルが消えかかっていました・・A面「あゝ勇払千人隊」キングレコード 🔷

この曲の作詞者である玉木氏(故人)は、当会の中村会長の伯父にあたる方です。遺品として譲り受ける予定だったレコードが手違いから手元に保管できなかった会長は、発売されたシングルレコードが最寄りの地で保管されていないか尋ねる予定でした。

 昨年度に受託した苫小牧市の委託事業の開催地の一つである勇払地区。訪れた資料館で、問いかけに対して教育委員会教育部の二階堂氏が「ありますよ~」・・・いとも簡単に(!) 嬉しい回答!

「さぁこれですよ」と出して下さったレコードが です。

『望郷岬』はB面。玉木氏の作品 A面の『あゝ勇払千人隊』のタイトルはうっすら読み取れます。


 千人同心頭 河西祐助の妻・梅は、この地勇払へ来た、ただ一人の和人の女性でした。乳飲み子を抱える梅は、寒さは厳しく食べ物も少なかったため、乳も満足に出ない状態でした。梅は病におかされ、体は日に日に衰弱していきました。ついに梅は、愛しい赤児を胸に抱き「この子にお乳を…」と言いながら、赤児を残し25歳の短い生涯を閉じました。入植3年後のことでした。


 梅の死後、雨の夜になると赤児を抱いた若い母親が「この子にお乳を恵んで下さい」と言って、泣きながら家の戸をたたいてまわり、可愛そうに思って外に出てみると誰もおらず、闇にまぎれて赤児を抱いた若い女が墓地の方へ消えていったという噂がたつようになりました。

 人々は「夜泣き梅女」と呼び、その霊を悼んだ悲話が語り継がれ、今に伝えられています。


 子どもを残して逝った梅女は、どんなに無念な思いだったことでしょう。。。


 想像を絶する寒さや飢えの中で開拓に従事した先人たちのご苦労が、今日の苫小牧の礎になっていることを思うと、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになります。長く苫小牧に住んでいても、勇武津資料館に行ったことがない人も多くいます。貴重な資料がたくさんあり、詳細な説明をして下さる二階堂氏のお話が大変興味深いので、私たちも今回をご縁として度々訪れたいと思っています。


🔶 未だ訪れたことのない方は是非 足を運んで下さいネ!!




:会長がネット検索を続け、先月ようやく一枚を見つけて購入したレコード。

今度はレコードプレーヤーを購入しなくては!と話しています。


※CD<限定盤>「二葉百合子 ひとすじの道」にも収録されているようでした。


❖勇払地区と中村会長のご縁は他にもあるようです。後日アップします❖




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